戦国時代を生きた明智光秀は、「本能寺の変」とともに多くの方がその名をご存知だと思います。
しかし、戦国時代の人物に詳しくない方には、光秀がどういう人だったのかということまでは、あまり知られていないことだと思います。
織田信長の家臣となり、忠誠を尽くし、数々の戦で武功を立て、信長が最も信頼する家臣だった明智光秀が、なぜ突如として主君を裏切り、謀反を起こすことになったのか…。
明智光秀の残した名言を通し、その人物像を見ていくとともに、その波乱万丈の人生から、現代社会で生きる私たちにも通じる、自分らしく生きていくためのコツを探っていきたいと思います。
実は周囲に流されてハメられた?明智光秀の名言
敵は本能寺にあり
この名言は、これまでのNHK大河ドラマなどでも、必ずといって出てくる名言(セリフ)ですね。
本能寺の変を起こすに辺り、明智光秀が「信長を敵だ!」と強い意志を持って、はっきりと家臣に宣言するシーンが、これまでのドラマなどでも格好良く描かれていますよね。
しかし、実はこの言葉は、本能寺の変よりだいぶ後の軍記物に初めて登場するセリフらしく、本当は明智光秀自身が言った言葉ではないんだとか…。
また「明智光秀が、織田信長を自分の意思で、裏切って討った」というのが、これまでの大方の共通認識だと思います。
しかし、一説によると、明智光秀はもしかしたら誰かに利用されて「信長を討った人物にされてきた」可能性があるというので驚きです。
確かに、当時の信長の首を欲しい人物は山ほどいて、その人物からすれば、信長の側近中の側近であった明智光秀を利用しない手はないのかもですね。
信長に対して信望とともに不満も持っていた明智光秀に近づいて、謀反をそそのかした黒幕がいたのではないかというのも頷けます。
生来、生真面目で自己犠牲の強いといわれる明智光秀ですから、まんまと諫言にのってしまったのかもしれませんね。
結果、後ろ盾の弱い明智光秀は、謀反後、中国大返しで戻ってきた豊臣秀吉らに、あっさりと鎮圧されてしまいます…。
そういう意味でこの名言は、実は有能な人間にも起こりえる「周囲に流されハメられた先の哀しい末路」を教えてくれる名言だと捉えることもできますね。
自己犠牲の意識高すぎ!な明智光秀の名言
鳴かぬなら 私が泣こう ほととぎす
この名言は、信長、秀吉、家康の性格を表したことで有名な「ホトトギス」シリーズですね。
(信長) 鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす
(秀吉) 鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす
(家康) 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす
この「鳴かないホトトギスを自分ならどうするか?」という事に対しての明智光秀の名言がこれになります。
ホトトギスが鳴かないなら、自分が泣くとまで言うなんて、かなり自己犠牲の精神が高かったんですね。
自己犠牲の精神というのは、言葉的には美徳であり、感動的な事であるとは思うのですが、組織のトップとして、あまりその意識が高すぎるのは如何なものでしょうか。
自分が犠牲になった後、自分の部下を巻き添えにする事になりかねませんし、自分の家族や友人のその後を考えたなら、後先考えず自己犠牲の精神を発揮するというのは、あまり誉められたものではありませんね。
現代社会でもそれは同じだと思います。
会社や仲間のためにと体を張るのは、ある程度までは尊敬されることですが、大きな組織のトップがそれでは、結果、自分で自分の首を絞めることになりかねないということに気づかされる名言ですね。
世の中キレイ事だけでは生きていきないことを教えてくれる明智光秀の名言
あの人物は俺の重臣だが、昔父の領内で農夫をしていた。それを父が登用してまず足軽にした。おそらく、あの時の恩を忘れず、農民だった初心で父の霊を弔っているのだ。武士はすべてああありたい。笑うお前達は馬鹿だ。
明智光秀は、様々な作品の中でも描かれている通り、非常に「高潔な」と印象がある戦国武将だったのだと思われます。
武士として、戦に出る者として、部下に対しても武士道で語る所の「仁・義・礼・忠」を徹底させるところがあったと言われているそうです。
そんな明智光秀ですから、光秀の重臣であればあるほどそうした武士道で語られるようなものを修めた人が多く、それを修められていないものを高くは評価しなかったとか。
これもまた、大変素晴らしいことではあるのですが、世の中にはやはりキレイ事だけでは生きていけないところがありますよね。
明智光秀は、突如、信長に見出され抜擢された存在。
そんな新参者が、人を集めて全員を厳しく規律正しくさせようとしても、多くの人間をまとめて行くことは難しく、さらに名誉に拘る武士に対して「笑うお前達は馬鹿だ」とまで言ってしまうのは、やはりやりすぎだったと言えるでしょうね。
徹底して厳しくするのも良いのですが、それに耐えられるような人って多くないもので、領民からはともかくとして、あまり部下受けは良くなかったと言われています。
この名言は、そんな相手に合わせて、アメとムチの使い分けをする事ができないと、人をまとめていけないと教えてくれる名言ですね。
大きな方針転換は失敗することを教えてくれる明智光秀の名言
自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、過分の御恩を頂いた。一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない。
この名言は、「明智家法」と言うものの末尾に載せられている名言です。
明智光秀は、実はその出自がはっきりしておらず、美濃の明智氏の出身とされていますが、それも定かではありません。
その為、まさに「石ころのような身分」であり、織田家においては外様で、苦労したことも多かったことと思います。
それでも自分を引き立ててくれた信長に、格別な感謝の気持ちを持っていたことが分かりますね。
しかし…明智光秀は本能寺の変を起してしまいました。
確かに明智光秀は、信長からかなりひどい仕打ちをされていたとも言われていますし、熱心な仏教徒でもあったので、比叡山の焼き討ちなど信長に対する感謝を超える怒りもあったかと思います。
しかし、初志貫徹する意志が足りなかったところがないとも言えません。
ある程度の臨機応変さは大事でしょうが、組織を挙げてやると決めた生き方を180度変えてしまうのはちょっと流石にやりすぎ、周りの元同僚もそれは信用ならないヤツだと思って秀吉側に付くでしょう。
この名言は、皮肉な事に、一度決めたことと真逆の選択をするのは非常にリスクを伴うことで、大幅な変更が必要になった段階で、多くの場合は失敗すると言う事を教えてくれる名言です。
時代の流れに乗る必要性を教えてくれる明智光秀の名言
仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。
この名言は、明智光秀が温厚で、心の広い統治者として、優秀な人物だったと語られるときに良く用いられる名言です。
この時代においては非常に珍しい平等思想が垣間見える名言でもあり、「百姓だけが嘘をつくことを許されないのはおかしい」と言う主張を明智光秀がしたかったであろうことがこの名言からは分かります。
これも非常に良い事を言っていて、信長の思想とも似ているところもあるとは思うのですが、戦国時代という武力が物を言う時代においては、まだまだ革新的過ぎる思想で、多くの人に受け入れてもらえる思想ではなかったように思います。
大変残念な事ですが、正しいことや良いことをいくら主張しても、それが時代の主流の考え方からあまりにも反しているとなかなか協力を得るのは難しいものなんですね。
この名言は、明智光秀が統治者として人格者としても優れていたことを教えてくれる名言でもありますが、時代の流れにマッチしていなければどんな人格者であろうとも多くの人に支持されはしない事も教えてくれる名言でもあります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
これら5つの名言を通して見えてくる明智光秀の人物像とは…
①生真面目
②自己犠牲の精神が高い
③高潔に礼儀を重んじる
④自分にも周囲にもストイック
⑤弱者には心優しい統治者
といったところでしょうか。
確かに、こういう人物がもし自分の部下だったら、それは信頼のできる部下になるでしょう。
信長が重臣にと登用したのも頷けます。
しかし、明智光秀自身にとっては、少し窮屈な人生を送っていたのかもしれませんし、自分の気持ちを相当押し殺して、信長に仕えてきたんだと思います。
その反動で、本能寺の変という、歴史上でも何本かの指に入るクーデターを起すことになったのかもしれません。
もう少し、自分らしく、ありのままの自分で居られたら、このような哀しい末路を迎えることもなかったのかも知れませんね。
ボク自身もこれまでの20年のサラリーマン人生で、会社のためにと、真面目に自己犠牲を払ってきた部分は多いにあります。
それがサラリーマンとしての美徳と思ってやってきましたが、いま振り返ると、それで本当に良かったのかと疑問を持っています。
他人に振り回されることなく、もっと自分に正直に生きていきたい!と今は思います。
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。
その謎めいた半生がどのように描かれるのか、非常に楽しみでなりません。
是非ドラマの中では、いきいきと動乱の戦国時代を駆け抜けた、明智光秀の姿を観てみたいと思います。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
明智光秀のことをもっと知りたい方へのおすすめの本
明智光秀
■著者:早乙女 貢
明智光秀の入門小説としておすすめ!
明智光秀の半生が描かれていきますが、テンポが良く、必要最低限の情報でサクサクっと読めます。
前半は『本能寺の変』に至るまでの経緯を描き、後半はその後の話が展開されていきます。
本能寺の変の後、光秀は秀吉に破れ死んだと思われたが、じつは…。
光秀の定理
■著者:垣根 涼介
3人の友情と明智光秀の出世物語
兵法者の新九郎、辻博打を行う謎の僧である愚息と出会ったことで、浪人中の十兵衛こと明智光秀の歴史は、動き出します。
この3人の友情と成長を軸にしながら、光秀がどのように出世していったかが描かれています。
本能寺の変については新九郎と愚息の回想話だけとなりますが、友人が語る本能寺の変は真実を表しているのかもしれません。
本能寺の変 431年目の真実
■著者:明智 憲三郎
明智光秀の子孫が暴く、本能寺の変の真実とは?
明智光秀の子孫である著者がまとめた本能寺の変についての考察です。
歴史の中でも謎の多い本能寺の変での通説は、秀吉などその後の勝者が資料を書き換えた可能性があるとして、史料を丁寧に調べ上げ真実に迫ります。
今まで聞いたこともないような突飛な発想も多く、面白く読めるはずです。